1 雨降りと電話  降りしきる雨の中、駅前の商店街を駆け抜けていった。  視界に入ったコンビニ駆け込み露を払う。  ポケットから携帯電話を取り出して見れば、時刻は午後四時半。 もうそろそろでいつもの時間だった。  少しの時間を潰すために雑誌のコーナーに足を向ける。 手に取ったのは、夏のお勧めのデートスポット特集を扱った雑誌だった。  もうすぐ梅雨もあける時期になってきた。 今頃クラスの奴らも、今年の夏の予定を大はしゃぎで決めている頃だろう。  今度の休みに行くところを見繕い、雑誌を閉じて棚にしまう。 瞬間、ポケットに戻しておいた携帯が振動し、その拍子に雑誌を取り落としてしまう。  携帯の画面を見るとそこには、佐久間志乃と表示されていた。  「もしもし」  通話ボタンを押し携帯を耳に押し付ける。  『もしもし……。あっ……あの……、志乃です……』  返ってきた声はどこまでも控えめで、それでいて嬉しさが満ち溢れていた。   「どちらの志乃さんですか? 私とはどういったご関係で?」  だから……  『あっ、あの。 わたしは、その……鈴城くんの……かっ、かっかっかっ……』  だからついつい……  「かっ?」  『彼女です!』  からかいたくなる。  「よく言った! それでこそ僕の見込んだ男。 俺なら恥ずかしくて言えません!」  『そんなー、いつも言わせてるのは鈴城くんじゃないですか〜』  人がほめてるのに泣きそうな――もう既に鳴いているような声で電話の向こうの少女は言う。  『それにわたしは女の子なんです! そりゃあ胸は小さいかもしれないけど、でも、一人前の恋する乙女なんです!』  感情が高ぶりすぎて、一見するとイタイことを言っている。 まぁ、そんな彼女にももうなれてきたし、そんな彼女が好きだったりするわけで。  「じゃあ、そんな恋する乙女の志乃さんに素敵なお知らせ。 なんと! 今度の日曜、愛しの鈴城くんと海水浴にいけちゃいます!」  そんでもって、結局僕も似たようなもので。  『の〜〜〜!』  理解不能な言葉を発して受話器の向こうでのた打ち回る愛しい君。  そうやって、二人してバカやって、周りからはバカップルと指差して笑われる僕たちは、そのとき、世界で一番幸せだった。  『あっ、カードがなくなりそう。 どうしようどうしよう』  「それじゃあしょうがない。 今日はここまで、また明日」  え〜、と受話器から抗議の声が上がっている。  「わがまま言わないの。 幸せな時間は続かないからこそ、幸せを強く感じれるんだよ」  『そんなこと言ったって、寂しいものは寂しいよ』  「それは僕も同じ。 だけど今は、週末のデートを思って耐え忍ぶよ」  『そうだね。 デートデートデートデートデート…………』  思考がループに入った志乃さんは、危ない人みたいにいつまでも呟いていた。  「じゃあまた明日この時間に」  『デートデート……、へっ! あぁ、うんまた明日。 へへ水着何にしようかな、あれもかわいいけど、あれも良かったような……ちょっぴり大胆にあれにしてみるとか♪ いゃぁあん』  「志乃さん……そんなあなたを愛してます。 愛してしまったんですね、僕……」  そう言い残して通話を終了した。 苦笑しながらも幸せそうに微笑む頬を感じて、僕は本当に幸せなんだと実感した。  電話を切り店を出ようとした僕は、床に落としたままだった雑誌を拾い、棚に戻そうとした。 しかし、雑誌は僕が運んできた露に濡れてしまっていた。 仕方なくその本を買って僕は帰路に着く、外はもう雨が上がり、燦々と輝く日の光は、道端に咲く紫陽花に降り注いでいた。  その夜、ふやけた雑誌は、海水浴場のページだけ読むことが出来なかった。